ストレス多き仕事、適応障害になったショップ店員の過ごし方
前回、適応障害がどのようなものかお伝えしました。
アパレル店員を襲うストレスの病気『適応障害』 アパレル販売員も属するサービス業の人間にとって、 大変身近な病気『適応障害』。 販売員は『感情労働』であると言われます。 感情が労働内容の不可欠な要素であり、かつ適切・不適切[…]
・ストレスの元から遠ざかれば治りやすい
・傷病手当をもらうための準備はしっかりやろう
・休むことに罪を感じないでほしい
とくに3つ目の、
「休むことに罪を感じないでほしい」。
アパレルは人間関係の煩悩さだけでなく、
ギリギリの人数でやっているところが多いため、
休むことへの罪悪感が消せず、
無理をして出勤したり休んだりを繰り返した結果、
病状が悪化することも多々あります。
しかし、よく考えてみてください!
休みは上司や同僚にもらってるわけでは無く、
会社があなたに与えた『当然の権利』であり、
その間、上司や同僚があなたの抜けた穴を埋めることもまた『当然の仕事の一環』だし、
その結果業績が下がったり退職者が増えたり、
なんらかのダメージを会社が負うことも当然中の当然。
休職に至るまでのきっかけは会社も含め、
全員が作っているから、これもまた痛み分け。
あなたのせいだけではない。
あいにく超絶インドアの私は、
休めることになんら罪悪感はありませんでした。
この部分的な不真面目さが良かったのかもしれません。
休職を始めたのは、アパレルの1番の繁忙期の12月でした。
こんな時期に働かなくて良くて、普段より手の込んだ年末年始の番組見放題でダラダラできる。
家族と一緒に年末年始を満喫しよう!
読書して、映画見て、それから・・・・
楽しい休職計画を練りながらワクワクしたり、
しばらくは職場に行かなくても良い安堵の気持ちでいっぱいでした。
診断書をもらい、いざ、休職生活に突入!
楽しい想像をしたのも束の間、
またすぐ無気力に襲われたのです。
二週間、何もやる気が起こらず、
ベッドで1日の大半を過ごしていました。
生きてるのか死んでるのかわからないくらい、
ベッドの上だけで1日完結してしまう日も。
そのうち、「自分について徹底的に考えている」自分に気づきました。
私は、真面目であるが故に、答えを求めているのです。
・どういう心理が働いて他人は私をこんな目に遭わせたんだろう?
・私の落ち度って、どこだったんだろう?逆に、良いところや強みは何なんだろう
・この仕事じゃなかったら何をしてみたい?逃げるのにカッコイイ理由、なんか無い?(=「アパレルはもうやり尽した」これだわ。
などなど。
ただただ取ってつけたようなポジティブな言葉を探すのではなく、
たくさんの本を読んだり動画や物語を見て、本気で色々と考えて、
答えを自分の中に持つまでひたすら考え、
ひとつひとつの「何で」を自分なりに答えを出し、決着をつける、
この繰り返しです。
仕事しなくて良い1日24時間は意外と長いので、
思ったよりもたくさん色んなことを考えれます。
自問自答を続けて、
闇の2週間を抜けた私は、
自分の考えたとりとめのないことを親友に語るようになり、
親友はただただ
「うん、うん、そのとおりだね」と聞いてくれたし、
久しぶりに洗濯をしたというだけで褒めてくれたりもしました。
そして一ヶ月経つころには休職しながら転職活動を始めました。
嘘のようですが、
そのころには『ストレスの源』に触れなければ、発病前の自分となんら変わりは無かったのです。
これが『うつ病』と『適応障害』のハッキリとした違いでしょう。
一度アパレルを断ち切った私は、
営業の面接で仕事の楽しさを嬉々と語り、
もうアパレルとはおさらばだ!と息巻いていたました。
適応障害もこじらせたらうつ病になるので、
私の場合、
そうなる前にどうにか解決に向けて可能な限りの時間を使い、
あれこれ動いたことが良かったのでしょう。
それから早々に次の仕事の内定をもらえたので、
当時現職だったアパレルには何の迷いも無く退職を申し出ました。
有休消化のため、
退職を伝えたあとでも半月は在籍することになりましたが、
次の職場が決まってるのだから憂鬱な気持ちもありません。
友人や家族と楽しく過ごし、次の仕事まで心身ともにゆっくりできたのです。
二ヶ月前はすべてに絶望していた自分が、
日々しっかり眠れて、ごはんを食べれて、
優しい家族や親友に守られている。
適応障害になったことで、
より小さな幸せに気づけるようになっていました。
闘病の末、転職に成功。そしてアパレルに戻った日。
その後勤めた営業職もすぐ辞めるものの、
また休職期間のような毎日に逆戻り、
私は淡々と毎日考えていました。
「やっぱりアパレルに戻ろう。」
そして毎日精力的に転職エージェントに会い、転職活動をしました。
この転職はエージェント無しには成功しなかったと言っても過言ではありません。
「ネットで色々調べたけど、うつ状態であることは面接で言うとすごくデメリットになるけど、言う?言わない?またはどのタイミングで言う?」など、
相談に乗ってもらったり、
お膳立てしてもらったりしました。
うつであることは普通の人が面接を受けるよりとても難しいです。
だからこそ、
有能なエージェントを見つけてください。
2ヶ月に及ぶ転職活動の結果、
内定をいただいた中には管理職の仕事もありました。
しかし管理職は「人(部下、あるいは上司)を動かす」ことが絶対条件です。
人間関係に疲れたのに、
また人を絶対条件にして、
他人を中心に働くなんて無理、
というのが率直な感想でした。
再度アパレルに戻った私は、
久しぶりに管理職ではなく、一人のスタッフとして、
今度は「上を目指す」のではなく、「(経験を)横に広げる」イメージで働くことにしました。
単純に、今まで関わったことが無いお客様に、自分も詳しくない未知の商品を売る。
負う責任は最小限に、
ただひたすら毎日それだけを楽しむのです。
気が付くと適応障害は完治しており、
地位や売り上げで上を目指していたときのような頭痛や胃痛も無くなりました。
お陰様で毎日楽しく働き、もう5年経ちます。
病気になった当時は辛かったですが、そこで、
・辛い状況でのプラスの発想転換
・自分に今出来ることを行動に移す
この2つを実行することで、
大きなピンチを乗り切ったという自信が自分を強くしてくれました。
今苦しい思いをしている真面目な人たちへ。
適応障害は「何も考えずに休め」と言われるが、
あえて言わせてもらうと、
「何も考えずに休むのはせいぜい半月。
あとは時間をふんだんに使って、考えよう、行動しよう。」
そしたら治るかもしれません。
過去に2回適応障害を発症。うつ病との違いと私の原因 私は、今まで適応障害で二度休職をしています。 適応障害とは、生活の中…